古代より始まった赤穂の塩づくり。奈良時代の756年には赤穂の塩山が東大寺へ寄進され、塩荘園となっています。江戸時代には石工や石材が豊富に存在すること、雨が少ない温暖な気候に恵まれていることから大規模な入浜式塩田の開拓が進みました(1626年)。この地がいつしか「赤穂東浜塩田」と呼ばれるようになり、東浜の高い製塩技術は瀬戸内十州塩田に伝わりました。
以降、300年にわたって全国の塩づくりをリードし、赤穂の塩の高い品質は、江戸時代の蘭学者 司馬江漢が「赤穂塩、日本第一なり」と記すとおり、全国に名を馳せました。1971(昭和46)年、塩田による製塩が廃止され、にがりを含んだ日本の伝統的な塩が市場から消えました。
日本の伝統的な塩を取り戻すため、消費者が自然塩運動を起こし、我々はその声に応え、政府の製造許可を得て天日塩とにがりを原料とする「特殊用塩」の製造を始めました。この塩が現在の「赤穂の天塩」であり、海水のにがりを活かした差塩(さしじお)製法として赤穂東浜塩田の伝統が受け継がれています。
この本質的な塩づくりの技術を基盤に成長を続け、現在はミネラルの総合メーカーとして多様な製品をお届けしています。製塩技術をベースに海水から得られる無機塩類、この精製技術を応用した高機能材、そして独自の脱塩、ミネラル調整技術による海洋深層水製品など、海洋研究に基づいた多機能・高品質の製品を開発。江戸時代より続く塩づくり技術を進化させ、挑戦を続け、海水由来の製品へと結実させています。
- 健康事業
- 卓越したマーケティング力とミネラルの可能性を 引き出す技術によって幅広い生活者の健康に貢献
- 赤穂化成株式会社の研究発表学会
- これまで赤穂化成株式会社の研究発表学会名をご紹介します。